日本木琴協会はわが国の木琴演奏と作曲・編曲の先駆者朝吹英一氏によって
1950年5月25日に東京木琴クラブとして発足しました。

 

 創設者である朝吹英一(1909~1993)は、東京都中央区に生まれ、中学時代の1922年にアメリカのH.ライツが奏でた「ウィリアム・テル幻想曲」の音色に大きく影響を受けた。早速2オクターヴ半程度の卓上木琴で演奏を始めたが、先生、楽譜、教則本やバチ(マレット)の全てが満足に無い状態であり独学で演奏を始めた。その後陸軍音楽隊の星出氏から指導を受け多くの楽譜を入手した事もあって短期間に上達し、1926年初夏には現在のNHKからラジオ放送を行う腕前になり、「モッキング・バードやアメリカンパトロール等」を3オクターヴの座奏式木琴で演奏した。同時に作曲に興味を持った朝吹はドイツ人の先生に習い、本格的な作曲と木琴のための編曲を行うようになった。

 

 1930年代になると多くのレコードを出版、途中自ら結成したハワイアンバンドで「ヴィヴラフォン」を演奏、1950年に「東京木琴クラブ」を結成、安倍圭子氏を含めた会員数9名で活動を始め、同じ時代にプロの演奏家としてお互いに技術を高めあった平岡養一氏を顧問に迎えた。朝吹とほぼ同年の1923年に名古屋・岐阜地域を中心に吉川翠芳氏が木琴演奏を独学で始め多くの後進を育成し受け継がれている。

 後年阪神地域では伊藤実希男氏が木琴・マリンバの研究と後進の育成を行い、奈良では小川博司氏が組織的な活動と普及に尽力した。又、広島では森脇中氏が長年にわたり幼児への木琴指導を続けたことで、中京、阪神、奈良、中国各地域での木琴・マリンバの発展と普及に大きく寄与し現在も支部として継続している。朝吹は朝日放送(首都圏では文化放送)からラジオ放送を毎朝5年半継続したこともあって、木琴演奏が全国的に広がり1957年に「日本木琴協会」に改称し現在に至っている。

 

 1950年にアメリカからマリンバが輸入され低音部分の響きにアンサンブル演奏の可能性を感じ取った朝吹は以後マリンバを主に演奏し、作編曲をした。生涯作曲数は119曲、1929年に我が国初の木琴のオリジナル曲「軽井沢の美人」を作曲し、1000曲を越える世界の名曲を木琴・マリンバ用に編曲した。

 

  東京木琴クラブで1950年に開催した発表会(参加9名)はその後、全国選抜マリンバ大会として発展、改称され毎年開催。2016年には16支部と78名の参加があり67回目が東京・第一生命ホールで開催された。朝吹が企画し自らも出演した一流のマリンビストを一同に介して開催している「朝吹記念マリンバ・フェスティバル」も今年54回目を開催した。日本木琴協会は、現在全国に23の支部があり会員数は1500名を超えている。

 

 

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